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バリエーションファイル 初代エアロバス・ハイデッカ・後期型(1)
八風バス P−MS725S
1988年にマイナーチェンジを実施した初代エアロバスのハイデッカにおける標準的な仕様の車両で、側面窓が1989年からの保安基準変更に先立ってマイナーチェンジ当初よりT字窓を標準設定とし、当時の親会社だった三交はスーパーハイデッカを中心に導入していた時の車両でこの時から八風の車両は独自の仕様の車両を導入する様になりました。
1998年5月撮影
函館タクシー P−MS725S
1989年の10月頃に側面窓の保安基準が変更となり、補助席を装備する車両の側面窓に使用することができなくなった逆T字窓は標準装備からオプションに変更され、大半の事業者については保安基準変更まで引き続き逆T字の側面窓を採用していました。
2003年6月撮影
栃木交通バス P−MS725S
栃木観光が新日本観光(栃木)を合併して社名を変更した栃木交通バスが新日本観光から合併引継した初代エアロバスで塗装も自社塗装から新日本観光の塗装を標準塗装として採用し、初代エアロバスのハイデッカにの後期型では珍しかったメトロ窓を採用した車両です。
1999年7月撮影
沿岸バス P−MS729S
1988年にマイナーチェンジを実施した時のデモカー(撮影用特別仕様車)を譲渡した車両で譲渡当初はデモカー塗装のままでしたが後に自社塗装に変更したが乗車定員が少なく、側面の窓も観光バスとしては珍しかった固定窓仕様など自社発注車両と大幅に異なった仕様の車両です。
1997年10月撮影
岡崎観光自動車 P−MS725S
後に名鉄東部観光に社名変更し、現在は名観の一部となった当時の岡崎観光ではエアロバスの冷房装置にオプションとして設定しているデンソー製の冷房装置を搭載し、菱重製と異なりこの時のマイナーチェンジモデルから搭載する冷房装置の仕様が変更となってのが特徴です。
1995年7月撮影
名古屋鉄道 P−MS725S
1989年から中央道特急バスのハイデッカ車で名鉄が運行する車両もグレードアップ車両の導入が始まり、側面固定窓を採用し車体後部にサービス関連設備を集中させた当時の中央道特急バスにおける標準的な室内レイアウトを採用しているため非常口の位置が前期型と同じ位置に設置しているのが最大の特徴です。
1995年10月撮影
東京空港交通 P−MS729SA
リムジンバスが導入した初代エアロバスの後期型ハイデッカで全ての車両が高出力エンジンを搭載し空港リムジンバスとして導入した車両についてはオプションの直結冷房を搭載しているほか、特注で前のバンパーのフォグランプ横にコーナリングランプを装備しているのが特徴です。
1998年5月撮影
静岡鉄道 P−MS725SA
東名高速バスの近距離便として静鉄が運行している静岡駅地区から御前崎等へ行く高速バスの車両の大半は車両は観光バスから転用した車両で占め、ワンマン化や側面の方向幕の新設など若干の転用改造をしただけで乗降扉の折戸は新製当初からの扉となっています。
1999年8月撮影
あさでん P−MS725S
旭川電気軌道から一時分社し、2007年に合併して消滅したあさでんが保有していた車両で元々は京阪バスが京都市内の定期観光用の路線車両として導入した車両を譲渡した車両で、当時の京阪では現在と異なり車両の更新サイクルが短く全国各地に譲渡されこの車両についても側面に便名表示機が残っています。
2003年6月撮影
ばんけい観光バス P−MS725S
最後まで屋根の上にロケット型マーカランプを搭載していたのがばんけい観光で初代エアロバスについても後に撤去するが自社発注した車両には後期型についてもロケット型マーカランプを採用していたほか、加工をしたラジエータグリルや冷房装置のルーバやメッキフェンダーアーチなど独特な仕様の車両です。
1997年10月撮影
両備バス P−MS725S
一部の車両については前面の社名表示灯を装備しない車両を併用していた両備のエアロバスの後期型ハイデッカでは途中からハイデッカM(クイーンバージョン)の導入を進めたことにより台数は少なく、両備でも後期型のハイデッカについては全ての車両が社名表示灯を装備しなかったです。
1997年5月撮影
大阪ヤサカ観光バス P−MS725N
関西の事業者では珍しい短尺車を保有している大阪ヤサカがかって保有していた初代エアロバスの後期型ハイデッカで主に上高地への運行を中心とし、全ての車両が1989年の保安基準変更前による導入のため逆T字窓を採用していました。
2001年5月撮影